日々、診察室で多くの鼠径ヘルニア患者さんと向き合っていると、一つの共通した傾向に気づかされます。それは、多くの患者さんが「何年も前から膨らみに気づいていたが、痛くないから我慢していた」と仰ることです。専門医の立場から最も強調したいのは、鼠径ヘルニアという疾患において、痛みの有無は受診の判断基準にはならないという事実です。むしろ、痛みのない時期こそが、最も安全かつ確実に、そして身体に負担の少ない形で根治させることができる「絶好のチャンス」なのです。外科医がなぜこれほどまでに早期の受診を勧めるのか、そこにはこの病気が持つ物理的な性質が関係しています。腹壁に開いた穴は、時間の経過とともに徐々に広がることはあっても、自然に閉じることは百パーセントありません。穴が大きくなればなるほど、飛び出す腸の量も増え、周囲の組織との癒着が進みます。そうなると、いざ手術を行う際に、より広範囲の補強が必要になったり、手術時間が長引いたり、術後の違和感が残りやすくなったりするのです。外科という診療科は、時として「切るのが仕事」という冷徹なイメージを持たれることもありますが、私たちの本来の役割は、患者さんの将来の健康リスクを外科的な知恵で回避することにあります。鼠径ヘルニアの診察において、私たちは指先でヘルニア門(穴)を確認する際、その穴の硬さや、腸が戻る時の感触を非常に細かく評価しています。これにより、将来的に嵌頓を起こしやすい「危険なヘルニア」かどうかを瞬時に判断しているのです。現代の外科医療は、単に穴を塞ぐだけにとどまらず、患者さんのQOL、つまり生活の質をいかに維持するかに主眼を置いています。メッシュという人工の補強材一つとっても、現在は素材の進化により、以前よりも身体に馴染みやすく、異物感の少ないものが開発されています。これらを駆使して、再び重い荷物を持てる体、ゴルフや山登りを楽しめる体を取り戻すお手伝いをするのが、外科医としての喜びです。また、受診を迷っている方へのメッセージとして、診察は決して怖いものではないとお伝えしたいです。今は超音波検査という、お腹の上にゼリーを塗って機械を当てるだけの検査で、ほぼ確実に診断がつきます。放射線の心配もなく、その場で自分の身体の中の状態を画像で見ることができます。「何科に行こうか」と悩んでいる間に病状を悪化させるのは、非常に勿体ないことです。消化器外科という専門の窓口は、あなたが以前と同じように、何の不安もなく毎日を過ごせるようにするための入り口です。膨らみに気づいたら、それは身体からの「修理が必要だよ」という優しいサインだと捉えて、早めに私たちの元を訪ねてください。
鼠径ヘルニア専門医が語る早期受診の重要性と外科の役割