それは、雲一つない快晴の下で行われた草野球の試合中のことでした。私は三回表の守備についているとき、急に視界が白っぽくなり、地面が揺れているような感覚に襲われました。それまでは元気に声を出し、大量に汗をかきながらプレイしていましたが、ある瞬間を境に汗がぴたっと止まり、身体の芯が燃えるように熱くなったのです。ベンチに戻り、冷たい水を飲みましたが、喉を通る感覚がなく、すぐに激しい吐き気に襲われました。仲間の助けを借りて木陰に横たわりましたが、頭を金槌で叩かれているような頭痛が始まり、次第に返事をすることさえ億劫になっていきました。後から聞いた話では、私の意識は朦朧としており、視線が定まっていなかったそうです。仲間が即座に判断して救急車を呼んでくれました。運び込まれたのは、地域の中核となっている総合病院の「救急科」でした。救急車の中で隊員の方が「熱中症の疑いがあります」と病院に連絡してくれていたおかげで、到着後すぐに処置室へ運ばれました。そこでは複数の看護師さんと医師が私の服を緩め、脇の下や首の横に大量の氷嚢を当てて冷却を開始しました。意識が遠のく中で覚えているのは、腕に太い針が刺され、冷たい点滴が身体の中に流れ込んでくる感覚だけでした。検査の結果、私は「熱中症の中等症から重症への移行段階」と診断されました。救命救急センターでの数時間の集中治療により、体温は徐々に下がり、夜になる頃にはようやく会話ができるまでに回復しました。その後、経過観察のために一晩入院することになりましたが、翌朝の回診で担当してくれたのは「内科」の医師でした。救急科で命の危機を脱した後、身体の内臓機能に異常がないかを確認し、今後の生活指導を行うのは内科の役割なのだと教わりました。血液検査では一時的に腎臓の数値が悪化していましたが、大量の点滴によって翌日には改善傾向にありました。この体験を通じて痛感したのは、熱中症において「何科に行くか」を自分で判断する余裕は、症状が進むと全くなくなるということです。意識があるうちは内科へ自力で向かうことも可能ですが、異変を感じた瞬間に周囲に助けを求めること、そして迷わず救急車を呼んでもらうことが、生還への唯一の道でした。病院での処置を受けた後、数日間は倦怠感が残りましたが、内科の先生から受けた「再発を防ぐための水分と塩分の摂り方」のアドバイスは、それまでの私の無頓着な認識を改めてくれました。スポーツを楽しむための大前提として、自分の限界を知ること、そして医療機関の役割を正しく理解しておくことの重要性を、身をもって学んだ夏の記憶です。
真夏のスポーツ中に熱中症で搬送された私の実体験と診療科