「子どもの病気が自分にうつるなんて」と高を括っていた私は、人生で初めて経験した溶連菌感染症の凄まじさに、自分の無知を思い知らされることになりました。それはある金曜日の夜、喉に鋭いガラスの破片が刺さったような痛みから始まりました。翌朝には熱が三十九度を超え、身体中の節々が悲鳴を上げていました。しかし、本当の地獄は発熱から二日目に訪れました。首から胸元にかけて、真っ赤な発疹が広がり始め、それが瞬く間に全身を覆い尽くしたのです。その見た目もさることながら、襲ってきたのは経験したことのないような「深部から湧き上がるようなかゆみ」でした。大人の皮膚は子どもよりも厚いせいか、かゆみが奥の方で疼くような感覚があり、掻いても掻いても届かない、もどかしい苦痛に悶絶しました。仕事のメールを一本打つのも困難なほど、意識は常にかゆみに持っていかれ、集中力は完全に崩壊しました。鏡を見ると、顔は赤く腫れ、舌は不気味なほど赤く点々としています。大人のプライドなどは一瞬で吹き飛び、私はなりふり構わず保冷剤を全身に当てて、氷点下の寒さと天秤にかけながらかゆみをいなすしかありませんでした。病院で処方された抗生物質を飲み、ようやく熱が下がったのは発症から三日後。しかし、かゆみはそこからさらに二日ほど私を苦しめ続けました。夜も三時間おきにかゆみで目が覚め、そのたびに冷たいシャワーを浴びて神経を落ち着かせました。この時ほど、健康な肌のありがたさを痛感したことはありません。一週間が過ぎ、発疹が茶色く枯れてくると、今度は全身の皮が剥がれ始めました。スーツの肩にフケのような皮が落ち、指先の皮が大きく剥ける様子は、人前に出るのが憚られるほどでした。完治するまでに結局二週間近い時間を要しましたが、この経験が私に教えてくれたのは、感染症というものの残酷さと、自分の身体がいかに脆いかという事実でした。溶連菌は決して「子どもだけの病気」ではありません。むしろ、大人がかかった時の重症度やかゆみの執拗さは、社会生活を営む上で致命的なダメージとなり得ます。これ以来、私は家族の体調変化に以前よりも敏感になり、手洗いうがいの徹底を誓いました。あの燃えるような皮膚の熱さと、逃げ場のないかゆみの記憶は、今でも私の警戒心を呼び起こす重要なアラートとなっています。身体を大切にすること、そして小さな不調を侮らないこと。溶連菌が私に刻んだ教訓は、今も私の生活習慣の根底に流れています。かゆみが教えてくれた身体の叫びに、私はこれからも謙虚に耳を傾けていこうと思っています。